稀少な高級品 清澄なガラスのしずく 《聖母の愛とガリアの悔悛 小さな銀製メダイ 15.5 x 11.3 mm》 優れた保存状態の一点 フランス 1876年から 1880年頃


突出部分を含む縦横のサイズ 15.5 x 11.3 mm   最大の厚さ 5.6 mm   重量 1.3 g


本体価格 16,800円



 1876年から 1880年頃のフランスで制作されたルルドの聖母のメダイ。打刻による銀製メダイの両面に、融解した無色のガラスを落として固め、涙のような意匠とすることにより、ガリア(羅 GALLIA フランス)に対する聖母の愛、及び聖母に対するガリアの愛を象(かたど)っています。

 上部の突出部分には、フランスの銀細工工房を示す菱形のマークとともに、テト・ド・サングリエ(仏 tête de sanglier イノシシの頭)が刻印されています。テト・ド・サングリエはモネ・ド・パリ(仏 la Monnaie de Paris パリ造幣局)において 1838年から 1962年まで使用されていた貴金属の検質印で、純度八百パーミル(800/1000、八十パーセント)の銀製品であることを示します。





 一方の面にはマサビエルの岩場に出現したルルドの聖母と、ロザリオを手に跪く少女ベルナデット・スビルーを浮き彫りにし、これを囲むようにフランス語で「我は無原罪の御宿りなり」(Je suis l'Immaculée Conception.) と記しています。メダイの最下部には、聖母出現の年号(1858)が刻まれています。





 無原罪の御宿り(羅 IMMACULATA CONCEPTIO 仏 l'Immaculée Conception)は「原罪を引き継ぐことなく受胎された子供」という意味で、聖母マリアを指しています。無原罪の御宿りの思想を大成したのは十三世紀のスコラ学者ドゥンス・スコトゥス (Ioannes Duns Scotus. 1266 - 1308) です。ルルドの聖母出現の四年前にあたる 1854年に、教皇ピウス九世により、無原罪の御宿りはカトリック教会の正式な教義と宣言されました。





 ベルナデット・スビルーが幻視したのは高貴な様子の少女でしたが、それが誰であるのかベルナデットには分からず、たびたび名を尋ねても少女は微笑むだけで答えませんでした。しかしながら 1858年3月25日、高貴な少女が十六回目に出現した際、ベルナデットが四回繰り返して名を尋ねると、その少女は微笑むのを止めて目を天に向け、下ろしていた両手を胸の前で組んで、「我は無原罪の御宿りなり」と答えたのでした。ベルナデットがこの出来事をルルドの司祭に伝えたとき、司祭は驚愕しました。無原罪の御宿りなどと言う神学の用語を、無教育のベルナデットが知っているはずがなかったからです。





 もう一方の面に刻まれているのは、マサビエルの岩場を蔽うように建てられたルルドのバシリカです。浮き彫りを囲むように、エグリーズ・ド・ロゼール(Église de Rosaire ロザリオ教会)と記されています。ルルドの聖母は「ルルドの無原罪の御宿り」とも「ルルドのロザリオの聖母」とも呼ばれます。したがってここでエグリーズ・ド・ロゼール(ロザリオ教会)と呼ばれているのは、ルルドのバシリカのことに他なりません。





 フランスで制作された古いメダイには彫刻の細密さに驚かされるものがあり、本品のそのような作品のひとつです。本品の縦のサイズは突出部分を含めても 15.5ミリメートル、横のサイズは 11.3ミリメートルです。文字の高さと主塔の太さはいずれも 1ミリメートル未満です。このような極小サイズにもかかわらず、建物各部は極めて細密かつ正確に再現され、誰が見ても一見してルルドのバシリカであることがわかる描写となっています。





 フランスのメダイにはエマイユを施した作例が多くあります。エマイユにおいては、フリット(仏 fritte)と呼ばれる粉末ガラスを金属の上に置き、高温の炉内で融解させて、金属を被う均一な厚みのガラス層を形成します。本品は銀をガラスで被っている点がエマイユに似ていますが、フリットを融解しさせて銀に固着させたのではなく、水あめ状に融けた高温のガラスをそのまま銀製メダイに載せています。成分を調節して粘度を上げたガラスは、表面張力によってメダイ上に盛り上がり、あたかも聖母の涙のように見えます。





 十九世紀のフランスでは聖母の出現が多く起こりました。1858年にルルドで起こった聖母出現は最大の事件でしたが、これよりも早い 1846年にラ・サレットの聖母が、1871年にはポンマンの聖母が、それぞれ出現しています。

 1846年9月19日、フレンチ・アルプスの山村ラ・サレットに出現したマリアは、牛飼いの子供二人に対して預言を残し、天に帰ってゆきました。聖母の預言とは、フランスの人々が不信心と罪を悔い改めないならば恐ろしい神の裁きに遭うということ、もしも人々が悔い改めないならば、イエスの腕が振り下ろされるということ、イエスの腕は強くて重く、自分(聖母)には支えきれないということでした。これらの預言を語るとき、聖母は涙を流しておられました。

 普仏戦争の際、プロシア軍によるパリ攻囲は 1870年9月19日に始まりました。この日はまさにラ・サレットにおける聖母出現の記念日であり、信仰深い人たちの目から見れば、神とキリストがプロシア軍を使ってフランスを懲らしめ給うたことは明らかだと思われました。





 銀のメダイに無色のガラスを被せた本品の作りにも、見た目の美しさ以上の深い意味があります。本品は聖母が流し給う愛の涙であり、フランス国民が流す悔悛の涙です。ルルドのバシリカが建てられたのは、普仏戦争の敗戦から間もない 1876年ですが、本品もこれとほぼ同時期に作られたものと思われ、悔悛のガリア(羅 GALLIA PŒNITENS)における信心具制作を優れて代表する作例となっています。





 ルルドの聖母のメダイ自体は珍しくありませんが、ほとんどすべてが金属片を打刻しただけの作例です。しかるに本品は銀製メダイの両面に高温のガラスを融着させています。





 銀は信心具に使われる最高級の素材です。また融解したガラスを小さなメダイに載せるのは、熟練を要する危険で困難な作業です。最高の素材を使い、困難な工程を経て作られた本品には、地上の罪びとを愛するゆえに心を痛め、涙を流し給うた聖母に対して最も善きものを捧げたいという気持ちが籠められています。





 上の写真は本品を男性店主の手に乗せて撮影しています。女性が本品の実物をご覧になれば、写真で見るよりもひと回り大きなサイズに感じられます。







 本品はフランスを愛し給う聖母の涙であるとともに、「聖母への愛」と「心からの悔悛」を表すガリア(フランス)の涙でもあります。本品の二つの面のうち、聖母出現の面が聖母の涙を、バシリカの面がガリアの涙を表していると考えることもできます。二つの涙は本品において重なり合い、混じり合い、清澄な生命の泉となってルルドに湧き出しています。神は聖母の執り成しにより、ガリアの悔恨を嘉(よみ)し給うことでしょう。





本体価格 16,800円 販売終了 SOLD

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